ドラクエ3

こないだ電車で千代の富士そっくりなおばさまを見ました。


その千代の富士が大活躍の時代にドラクエ3が発売され、
当時、山の中に住んでいた大井は、チャリで町まで降りて、マッハで山を登りかえりプレイ。


だが袋を開けるとなぜかウィザードリイが。
再び山をチャリで往復しました。
さすが小学生、体力が無限でした。


そんなこんなでドラクエ3を遊びつくしたのですが、当時感動したのはエンディング。


今でこそゲームにはエンディングがありますが、当時のファミコンのゲームはエンディングなどと言うのは
存在していてもメッセージが出るとか、そんなもんでした。
そこに物語性などと言うのは無く、こっちも求めていません。


ところがドラクエ3のそれは小学生の脳をしびれさませた。


大井はドラクエは3からはじめたと書きましたが、1,2は人の遊んでるのを横で見たり
雑誌などでおおまかな話は知ってました。


1,2で重要なキーワードは「勇者ロト」。
1も2も主人公たちは、かつて世界を救った勇者ロトの子孫、だということ。
そして3で世界を救った主人公=小学生の大井、はゲームの中である称号を貰えます。


「勇者ロト」。


つまり、俺がロト、だった。


これはゲームでしか表現できない物語だと、当時の小学生はしびれたのです。


(多分続く)